社会部時代(5)2007年03月09日 08:04

 焼け跡は、想像を絶する凄惨さだった。どの遺体も衣服が焼けて失われ、炭化するまで黒こげになっている。顔の表情どころか、性別さえ定かでない。
 いくつかの遺体は、アゴの真下で両のコブシを合わせる恰好をしている。事件がひどく多かった千葉での勤務時代に、少しばかり法医学の書物を読んでいたのが役に立った。この恰好をした焼死体は「クラウチング (またはボクサー型)焼死体」と呼んで、一般に被害者が息のあるうちに焼かれたケースの特徴である。呼吸ができぬ苦痛や筋肉の収縮で、このような姿勢をとるのだという。
 見ると、ほとんどの遺体が頭部などに大きな裂傷があって、鮮紅色の血が流れている。焦げた死体の漆黒と、真紅の血のどぎつい対照は、今もなお鮮やかにまぶたに浮かぶ。
 そのころまでに私は、事故、自殺、心中、他殺などの死体を、30体を下らぬほど見ていた。列車に飛び込んだ男の遺体を初めて見た時は、その後ひと月ほど、特定の食べ物を見るのがイヤになるほどのショックを受けたが、次第に死体から事件のカギをしつこく探るようになっていた。
 エモちゃんは、「おれ、こういうのがホントにニガ手なんだよな。もう行こうよ。ね。ね」と顔を背けたきりせっつく。「待てよ。おい、よく見ろよ。あの血の色は、意味があるんだぜ」と、ねばる私。
 血液が赤いのは、赤血球のヘモグロビンと、吸った空気の酸素が結合しているからだ。酸素と結合した赤い酸化ヘモグロビンを持った赤血球が、動脈血として体の各所に運ばれ、細胞組織に酸素を供給する。その際、酸化ヘモグロビンは還元されて血は黒ずむ。これが静脈血だ。
 静脈血は心臓に戻って肺に送られ、ここで再び酸素と結合し、鮮紅色の血になって心臓に戻り、新たな動脈血として体の各所に送られる。これが、血液循環と代謝の仕組みである。
 普通、死後に焼かれれば、血液はどす黒い。それが鮮紅色で、死体の姿が「クラウチング焼死体」とくれば、死因は「エモちゃん、これは一酸化中毒死かもしれないぜ」と、私は耳打ちした。(;)

コメント

_ Luke ― 2007年03月10日 19:48

●竹庵さま、
 ご無沙汰をしております。
 すっかり春めいて参りました。今日は城ヶ島でウグイスのさえずりを聞きました。

 さて、本題ですが、ただただ固唾を呑んで拝読しております。お見事な筆運びに、「事件記者」を思い出してしまいました。

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