社会部時代(24) ― 2007年04月05日 08:13
田代の家は、後年、彼が役員になって現場の記者が遠ざかるにつれ、こんどは犬が荒らした。彼は、コリーやボルゾイのような大型犬を、座敷犬として愛玩した。リスが何匹も走り回っていたころもあった。ために、家具は囓られ放題。家に上がると何とも異様な匂いが漂っていたが、主は一向に意に介するところがなく、時に愛犬のために作った特製の牛乳ガユを、一つボウルですすることさえあった。
★肝臓を壊して酒を慎むようになるまでは、特派員が「貴重品、貴重品」と、海外から持ち帰った高級ブランデーを、コココと、まるで水のようにグラスに注いであおる始末。彼特有の「気取り」だったのかもしれないが、家や身に着けるもの、持ち物、食べ物には、まるで頓着がなかった。
★陸軍将校としてガダルカナル作戦に加わった生き残りの一人ということだったが、ほとんど戦争体験を口にせず、「使命感」という言葉を拒んで「余命感」と言った。
★熊本・八代育ちの軍隊暮らしで身に付けたのか、普段コキおろしている上役でも、面と向かうと直立不動になるところがあって、本質は、ギラギラした権力指向の持主だった。
★しかし、彼が欲しがった権力は、「余命」を注ぎ尽くした自ら理想とするジャーナリズムの実現のための道具だったのだろう。権力の座そのものへの執着心や、権力がもたらす甘い汁への俗心とか金銭欲には、およそ縁のない人物だった。
★それだけに、「田代の四天王」とか「田代のお小姓連」とかいわれた岩井弘安、佐伯晋(後に朝日新聞編集担当専務・テレビ朝日特別顧問) 、伊藤邦男 (後に朝日新聞編集担当常務・テレビ朝日社長) 、涌井昭治 (後に朝日新聞常務、九州朝日放送会長) などの面々が、田代とは大違いで、創造力も抱負経綸も、それこそ命懸けの理想もないのに、なぜ徒に地位にしがみつき、金銭欲と権勢欲にまみれて、俗臭ふんぷんたる老醜を晒したのか、私には理解がつかない。(;)
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