商売と良心(1)2006年06月15日 08:02

 あるスーパーで、「本日のお買い得」とスピーカーでガナリ立てている「大玉イチゴ」のパッケージを買って帰ったら、「大玉」は一番上だけ、下の方は普通より小さめの「小玉」がびっしり詰まっていた一件を披露したら、コメントやらメイルやらを何本か頂戴した。
 一様に、「あるまじきことだが、……」と嘆きながらも、「今日、この手のことは日常茶飯で、驚くには当たらない」「買い手の方が一回り賢くなって、だまされないようにするしか仕方ない」と、むしろ消費者の自己防衛の勧めに重点を置くご意見の方が、多かったのには驚いた。そうだろうか。
 年配者は、「世の中悪くなったねぇ」と嘆くことが多いが、こと商売人とのやりとりに限って言えば、何を買うにも店主・店員と相対で、「まけて」「まからん」「じゃ、おまけ」と掛け合ったり、魚や野菜の産地や鮮度を尋ねたりするのが昔は当たり前で、売り手・買い手が有無あい通じていた。
 そんな時代に、こんなカラクリでイチゴを売ろうものなら、悪タレつかれて突っ返されたり、それっきりほかの店に鞍替えされたりしたものだ。だいいち、代々その地で暖簾を守って来た個人商店としては、親譲りの店の「信用」こそ後生大事で、顔見知りの顧客をだますなどとは、考えも及ばなかったに違いない。
 そうは言っても、商売とは「出来るだけ安く仕入れて、あたう限り高く売る」のが基本だから、昔の商人にだって、同じような誘惑はつきものだったろう。だが、すべてが店主の責任となると、ブレーキが利いていた。
 それが、スーパーのような法人経営に変わると、責任の所在が不明確になる。商品やサービスについて苦情を言う相手は「サービス・カウンター」とやらの、商品知識も貧しい店員に任されていて、交渉がコジれてやっと出て来る「店長」はネクタイに背広姿、ひたすら謝ればいいという態度だ。それでいて、敬語の使い方もおぼつかない。
 当方が知りたいのは、その店の誰が客をだますカラクリを作ったのか、そんな仕掛けの商品を仕入れたのかの、責任者の料簡なのだが、結局はラチがあかない。要するに、法人となると、店や従業員、部門部門にそれぞれ売上げ目標の「数字」があり、個人の埋没が良心を鈍らせてしまうようなのだ。(;)

コメント

_ Luke ― 2006年06月15日 21:20

竹庵さま、
本格的な梅雨となってしまいました。

難しい経済のことはわかりませんが、スーパー・マーケットに代表される大型店舗が出現したことは、きっと社会が求めた結果なのではと思えます。そうでなければ、とっくに潰れています。

この様な、いかさまとも受け取れるような商品は、昔から存在するように思います。上げ底、というのがそれです。なぜかこの手のパッケージについては、暗黙の了解があったように思えます。上げ底だったといって抗議する人も、なかには居られたかもしれませんが。

ですから、生鮮食料品でもこの手のことが平然と行われ、買い手の側も、それを認めている節があります。皆、それを承知で買いに来る。

むしろ私は、竹庵さまが、今頃になって、スーパーの大安売りで上だけ大きなイチゴで、下に小粒のイチゴだったことに腹を立てられ、剰え、店長と思しき人に抗議までなさった、という竹庵さまの初々しさに驚きを覚えました。今時、まさに貴重な純粋なお心をお持ちの方だと。

_ 竹庵(Luke様へ) ― 2006年06月15日 23:39

 Luke様。私とて、そうウブな歳ではありません。また、スーパーには、ほとんど毎日、家内の運転手として参って、売り場も見て回っております。ですから、彼らの商法についても、昨日今日、知ったわけでもありません。それは、今時の新聞人や政治家がやっていることを、昨日今日から怒っているわけでないのと同じです。
 ただ、私はジャーナリストの端くれとして、言わねばならぬと思った時には言って来ましたし、言いますし、これからも目の黒いうちは言い続けるつもりです。きちんと理由を述べて。

_ Luke ― 2006年06月16日 19:01

竹庵さま、
雨も上がり、幾分肌寒く感じる宵です。

ご無礼いたしました。
竹庵さまの「目の黒いうちは」というお言葉、心強く思います。
わたくしなど、もう諦めてしまっておりますが、そんなことでは世の中ちっとも良くなりません。悪いことは悪いとはっきり言えるようにならないと・・

次回を楽しみにしております。どんな爆弾が落ちるやら・・

_ 竹庵(Luke様へ) ― 2006年06月17日 09:48

 Luke様。 まぁ、まぁ、そうお硬くならず、お崩しください。「小悪」を見逃すことは「小悪」であるという意味では、私だって、あまり大きなことを言える資格はないのです。ただ、20歳代の初めから、志を立てて新聞の世界に入り、ジャーナリズムを生涯の仕事にして来ましたので、もの申すのが勤めと思っております。しかしそれ故に、自分にいろいろと縛りをかけねばならぬ辛さもあるのです。
 この仕事は、教員を含む聖職者や公務員、法曹界の人間と同じように、生身の人間なのに窮屈に耐えねばならぬところがあります。しかも、人間、なかなか聖人君子にはなれませんものね。お勧めできる仕事ではありません。

_ Luke ― 2006年06月17日 16:21

竹庵さま、

お言葉に甘えて、くつろがせていただきます。どっこいしょ・・

思いますと、今は「何でもあり」の時代で、どの様な職業にでも不祥事が散見されます。昔もあったのものが、今は表沙汰になる、というようにも見受けられないこともないのですが、それにしても目に余る昨今であります。

竹庵さまのように、「自ら律する」お気持ちのある方なら、どのような場面にあっても、道を見失うことはないと思います。

ヤミ食料を、そのの立場から拒否して餓死した判事の事件は、極端な例かも知れませんが、職務に忠実であり、職業倫理に徹することは、実は大変難しいことであると思います。まして、竹庵さまはもうご隠居?の身の上。頭が下がります。

_ 竹庵(Luke様へ) ― 2006年06月22日 23:18

 Luke様。 あまりお褒めにならないでください。なんとか頑張っているだけのことです。でも、許し難い乱れようですね。何ですか、あの福井という東大出は。胸くそ悪くなる。教育が駄目ですねぇ。

_ Luke ― 2006年06月23日 07:11

竹庵さま、おはようございます。
梅雨寒の朝です。お風邪など召しませんよう。

学問、地位、名誉、財産を得たであろう人達が、尊敬できる人物とは限らない。
それらを全部取り去ったあとに残るものが、人の価値なのでしょうか?

_ 竹庵(へ) ― 2006年06月24日 00:46

 Luke様。まことに仰る通りです。社会人としては、地位、名誉、財産より「恥を知る心」が大切なことくらい、学問をしっかり積めば分かるはずなのですが、戦後の教育は学問の本質を取り違えて、人間の生き方については学ぶ機会を与えず、もっぱら教科書に対する従順さと記憶力の優劣ばかりを評価し、しかも、学歴偏重の風を固めました。
 今日、ダメ人間として世間を呆れさせる人々が、高学歴の、有名学校卒に多いのは、そのせいでしょう。やれやれですね。

_ 竹庵(Luke様へ) ― 2006年06月24日 00:52

 Luke様。2006-06-24T00:46:06+09:00 「竹庵(へ)」は 「竹庵(Luke様へ)」です。失礼しました。コメントは、一度アップすると訂正がきかないのは不便ですね。

_ Luke ― 2006年06月25日 00:22

竹庵さま、
幾分蒸し暑い日でしたが、夜は過ごしやすくて助かります。

今、「白州次郎」と「ネイティブ・アメリカン」に関連した本を読んでおりますが、「プリンシプル」というものが、しっかりと確立している人の生き方、というものに感動を覚えます。それが「拝金主義」や「権威主義」では話になりませんが。

_ 竹庵(Luke様へ) ― 2006年06月25日 20:22

 Luke様。白州次郎は、豪快なサムライだったようですね。GHQから「唯一の従順ならざる日本人」と評された由。ホイットニー准将に「貴方は英語が上手い」とcomplimentを言われると、「貴方も、もう少し勉強すると上手くなれますよ」と、本場英国仕込みの英語でやり返したといいます。おそらく最後の、日本人らしい日本政府関係者だったでしょう。ホイットニーより遙かに器量において上回っていたからこそ、敗戦国民ながら、こういうことが言えたのです。
 国民を狂牛病感染の危険にさらしながら、訪米土産に米産牛肉の輸入再々開を持参する小泉純一郎などとは、所詮、タマが違います。人間の器量というものは、一代や二代で出来て来るものではないようです。白州次郎の風貌と言動には、数代にわたって磨かれた器量と品格が表れているように思えます。

_ Luke ― 2006年06月25日 21:52

白州のような人が今の日本にいたらなぁと、つくづく思います。

_ 竹庵(Luke様へ) ― 2006年06月26日 09:03

 Luke様。 やはり、「原理原則」を重んじ、国家・民族ために「無私」で死をも恐れぬ、大器量の指導者が必要です。しかし国民の大多数が、このような指導者をただ待望しているだけでなく、「原理原則」や「無私」について、同じ考えを抱いてなければ、優れた指導者が出現する余地もないでしょう。
 あの当時、白州は国民の多くが、同じ気持ちでいると認識し、負け犬と化して、地位に拘って弱腰になった役人や政治家どもとは違った言動を敢えてしたのではありませんか。
 付け加えれば、吉田茂という反骨の大器量がいたからこそ、彼が登用されたことも忘れてはなりません。吉田は、愚かなマスコミに悪口ばかり言われていましたが、戦中に獄に繋がれた反骨の人。大器量が所を得るには、上からの呼び水も大きく作用しますね。

トラックバック