違法を許すな2005年08月18日 08:18

 甲子園野球について書き続けているうちに、いろいろな方からコメントやらメイルやらを頂戴した。筆者としては、牛肉の安全の方が重大関心事ではなかろうかと思っていたが、反響は比較にならないほど、高校野球に関するものの方が多かった。やはり、国民的行事なのであろう。
 ご意見の中に、「最近は高校生の喫煙などは、ごく当たり前のことで、咎めるには当たらないのではないか」と、明徳義塾出場辞退のきっかけとなった野球部員の喫煙を容認するかのようなものがあった。それかあらぬか、8月4日、西宮市内の宿舎で監督から出場辞退を告げられた選手の中には、部屋に戻って「何でだよう」と言って泣く者がいたという。この記事を読んで、私は、当の選手がことの重さを理解していない様子を察し、暗い気分になった。せめてこの子らが新聞くらい読んでいれば、ダルビッシュ投手の喫煙が問題になったことをきっかけに、監督や教師を交えて、その善し悪しを考えただろうに。残念ながら、野球部が教育の場になっていなかったようだ。
 同チームの出場辞退は、暴力制裁や喫煙が直接の理由ではない。不祥事をもみ消し、隠蔽しようと図ったことを咎められたのだという。こういう判定自体が、私は間違いだと思う。だが高野連は、すでにして「連帯制裁」は取りやめ、今や暴力や喫煙程度のことなら、よほど悪質でない限り不問に付しているようだ。現に、この夏の代表校の中にも、部員が校内で暴力事件を起こしながら、県高野連には届けてあったからという理由で、甲子園への出場を容認されたケースもある。
 届けておけばいい、という問題ではなかろう。暴力は、理由の如何や傷害の有無を問わず刑法に触れる。未成年の飲酒・喫煙にも、それぞれ禁止の法律がある。こうした社会の決まりごとを生徒に示し、まず規則を守ることの意味を教えるのが「教育」ではないか。特に運動選手にとっては、煙草1本に幼児の致死量が含まれ、副交感神経を麻痺させるニコチンは毒薬でもある。細かいことでも、大人たちが違法は違法として後進を指導しなければ、世の中のルール軽視は世代を重ねるごとに広がる。(;)