発信の責任(中)2007年01月03日 08:02

 インターネットの開花によって、言論は広く大衆に開放され、誰しもが何の束縛をも受けずに、ウェブの世界で自由に言論を発信し、受信できる「仕組み」が出現した。「情報革命」と呼ばれる理由である。ただし、革命が情報流通手段の「技術革新」から始まって、インターネットという形で大衆化したところに、大きな新しい問題が起きた。縮めて言えば、「言論の責任・倫理」の積み残しである。
 インターネットは、アメリカの軍事技術に関わる学者たちの、迅速で簡便な情報交換の道具として生まれ、発達した。それが、東西冷戦の終結に伴って民間に開放され、さらに商用化された。従って、学者たちの情報交換がもっぱらだった時代には、「言論の責任・倫理」は、良識によって処理され、問題にならなかった
 もともと「言論の責任・倫理」の問題は、印刷物や電波に乗せた在来型情報流通の世界では、何十年も論議し尽くされ、情報発信に関わる人々の間で「常識」としてこなれていた。だが情報革命が、主として技術者の主導により、あまりにも猛スピードで進んだために、「言論の責任・倫理」の文化が適切に継承・移植されず、置き去りにされてしまったのだ。
 「言論の責任・倫理」を保証するものは、◇情報の真実性や信頼性の確保、◇情報発信者の責任の担保、◇情報発信者の良心に基づく発信の自制、◇情報の受け手の選別眼の涵養、◇関連法制、といったことになる。これらの、情報の質と責任の確保のための配慮は、印刷物や電波という情報メディアが、一方向に大衆に情報を提供していた時代には、かなり厳格に守られていた。
 しかし、市民一人一人が言論と情報の発信者になる大衆ネットの時代に、いかに適用するかの検討は、完全に後手に回っている。結果として生じたのが、大衆ネットの無法状態である。ジャンク・メイル、詐欺情報、おとり情報、無断のリンケージ、気味の悪いクッキー、……もっと悪質な、特定個人を対象にした中傷、誹謗、プライヴァシーの侵害などへの対処は、これからなのだ。(;)