地から来たもの 2005年04月04日 08:15

 何であれ、長年一つの仕事に打ち込んできた人の言葉には、巧まざる含蓄がある。
 東京・練馬に住んでいたころからのつき合いで、その後、横浜に越してからも小庭の面倒を見てもらった庭師のKさんも、時々ハッとするようなことを言った。
 たまたま、学園紛争真っ盛りのころの某大学学長と1字も違わぬ同姓同名だったが、言うことには、自然を相手の筋肉労働から抽出された哲理を感じさせるものがあって、文読む道で得られるものの、むしろ頼りなさを知らされた。
 もともとは、「いつのころからもわからない」先祖代々の農家で、住まいには大人が3人手をつないでも幹の周りが測れないほどの欅が、夏の日射しと西日をさえぎる。
 「百姓は、戦争に負けて年貢を取られなくなったんだから、畑を売って儲けようなんて、ご先祖さまのバチが当たる」と、宅地化が急速に進む地域で、農業と造園で暮らしを立てていた。
 椿や薔薇のような花ものは、「花芽に情けをかけては落第だ」と言った。
 大輪を咲かせようと思うなら、一番元気で付き具合のいい花芽を、一つ残してあとはみんな、運だと思って切ってしまえ、と言う。「何だって同しじゃねぇさ。総理大臣も、社長も、いっ時に2人は要らねぇべ」。
 曼珠沙華を指して、「この花はな、年に1回だけ、あの世とこの世の暦を合わせる時報みてぇなもんだ」と言った。確かに、Kさんのところの黒土に混じって来た鱗茎からは、今も3日と違わず秋の彼岸の入りに朱色の花が咲く。Kさんの畑の片隅にあった、ご先祖の墓地でも同じだった。
 夏に日蔭をつくり、冬に梢が美しい欅が好きで、植えてくれと頼んだら「身の程知らず」だと反対された。少しコチンと来て、逆らって植えてもらった。20年経ったら、狭い庭を睥睨し、近所迷惑な大樹と化して「身の程知らず」の意味を噛みしめている。
 「地から来たものは、地に返せ」と、Kさんは剪定した枝葉を決してゴミにはしなかった。大きな穴を掘って、そこで焼いて埋め返した。近ごろは住宅地での焚き火はご法度である。風のない晩秋の昼下がり、欅の葉を山に掃き集めて芋を潜ませ、静かにのぼる煙に物思った日が懐かしい。(;)