幼友だちの不安2005年04月26日 08:46

 「日本はどうなるの? これで大丈夫?」と、銀髪の幼友だちが頻りに訊いてくる。子育ても終わり、連れ合いに先立たれて、にわかに社会問題や国際問題に関心が広がったのだという。平凡な人生を送って来ただけに、大きな世界の現実を知るほどに、素朴な不安が胸に広がるようだ。
 彼女にとって、目下最大の関心事は、中国と南北朝鮮の「反日」姿勢だ。特に、北朝鮮の核ミサイル保有が日を追って真実味を加え、それに連れて韓国の盧武鉉大統領が急に反日発言を繰り返すようになったのが、怖いという。「だって、北朝鮮も韓国も同じ民族でしょう。韓国としては、同胞を取るか、アメリカや日本と組むかとなれば、やはり核ミサイルを持った同胞を取るでしょう」。
 確かに冷戦終結後は、イデオロギーより民族主義だ。超大国アメリカの、力に頼る外交も、かつてより露骨になってきた。国連を軽視し、ユニラテラリズム(独断専行)をしきりに実践する。盧大統領の「反日」には、内政上の政略の匂いが感じられるが、北朝鮮の核武装喧伝と微妙にテンポが合っているのも不気味だ。中国も軍備を強化し、台湾、日本、米国に強硬姿勢を強めている。
 「やっぱり、核ミサイルを持っているのと、いないのとでは"外交力"が違うじゃない? 中国の反日なんて、私にも単純じゃないと分かるけど、原潜までチラつかせられると、頭下げるしかないか、って思っちゃう」 「アメリカにだってさ、核で守って貰っているから、義理でもイラクに自衛隊を出さなきゃいけないんだし、狂牛病に罹っているかも知れない牛を押しつけられそうになるんでしょう。郵政民営化だって、裏にはアメリカの金融業界の要求があるっていうじゃない?」 。
 そうなったのも、憲法で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、安全と生存を保持しよう」とバラ色の決意を謳い、戦争・戦力・交戦権の放棄を国是として来たからだ。
  つまり、最後の切り札である決定的戦力を持たない外交を続けて来た戦後の「国のあり方」が厳しく問われているのだ。外交の究極の手段は戦争であり、究極の手段を持たぬ外交は無力であるとの哲理を、国民が忘れている。
 「憲法なんて絵空事よ。現に立派な軍隊があるじゃない。あとは核よ」。女が目覚めると怖い。(;)