文化の違い2005年04月25日 07:57

 相手が中国人でも、話せば分かると思っていた。家へ招くような朋友も、十数年前からいる。生まれも育ちも、言葉も、育った文化的な環境も違うのだし、まして先達たちが血を流し合った歴史を共有しているのだから百パーセントとは行かぬだろう。でも、じっくり話せば分かり合えると思っていた。それが、ひょっとすると全く無理なのかな、と思わせられる一文に接して悩んでいる。
 4月18日付けの朝日新聞朝刊「オピニオン」のページに載った、法大国際日本学研究センター王敏教授の「愛国主義」に関する解説の一節である。
 教授は、中国の愛国主義は「儒教によって裏付けられ、歴史的に肉付けされ、民族的に鼓舞され続けてきた」として、近現代史を重点的に教える教育現場で、「反日」と絡んで日清戦争の下関条約に反対した康有為や、アヘン戦争で英国を向こうに闘った林則徐の故事が教材になっていることを紹介した後、12世紀の南宋初期の武将「丘飛(がくひ)ほど英雄視される人物はいない」とする。
 林則徐や康有為が愛国者として讃えられのは、素直にわかる。丘飛に関しては、昔、東洋史でちょっと学んだが、革命後、顕彰に拍車がかかったようだ。その出自や武断主義からだろう。
 農家に生まれた丘飛は、一兵卒として義勇軍に参加して武勲を積み、やがて軍閥の長となって北方遊牧民・金王朝の侵略との歴戦で軍功を挙げ、主君高宗に重用される。しかし、金に対して宥和策をとる宰相秦檜(しんかい)らの官僚勢に讒訴されて入牢、37歳で獄死する。後に無実と判明して官位が復され改葬されるが、逆に秦檜は典型的な姦臣として辱められたという。
 問題はここから先。教授によると、杭州・西湖畔の岳飛廟には、900年経った今も参拝者が絶えない。「廟内には中腰で後ろ手に縛られた秦檜夫妻の像があり、岳飛を慕う中国人は、つばを吐き掛け棒でたたいてこらしめる」そうだ。
 驚いた。中国人は死者を鞭打つのだ。日本では、憎まれ者の代表のような吉良上野介でさえ「善政もあった」と評する。死者へのこんな仕打ちは聞いたことがない。だから、A級戦犯は永久に赦さないのか。異文化との交流は、つくづく難しい。(;)