NHK対新聞2006年01月16日 08:06

 日本の大新聞は、今やNHKに対して敵対的な感情を募らせているように見える。取材先への突き刺さりの深さ、報道の正確さや速さを競い、互いに"文化"を売る情報メディアなのだから、ライバルとして敵愾心に似たものを抱くのは、むしろ自然とも言える。だが、ここで問いたいのは、両者の敵対感情が、報道競争より経営上の覇権争いに由来するものに変わっていることだ。
 戦前・戦中、政府の報道機関であったNHKが、戦後、自由で独立した情報メディアに生まれ変わる過程で、新聞が果たした役割は見逃せない。"準政府機関"のNHKに、ジャーナリズムの精神を吹き込み、有数の人材を提供もした。全国的な文化的催事やスポーツ行事などでも、多くの提携関係を作った。
 大新聞とNHKの関係に軋みが生じたのは、1953(昭和28)年2月にNHKが、8月に朝毎読3社の共同出資によるNTVがテレビ放送を始めてからである。速報性と臨場性で新聞に圧倒的な差をつけたこの"ホット・メディア"は、わずか110世帯との受信契約でスタートしたが、3年後の1956年末には、30万世帯が視聴するまでに急成長した。予想外の事態に、新聞は慌てた。
 広告主が、テレビに走った。大手全国紙をはじめ新聞各社は、電波の割当てを巡ってドロドロした権益争いを経て、「系列テレビ局」の全国ネットを傘下に持つようになった。結果は、広告費のテレビ傾斜を強め、1970年代半ばには、新聞は広告媒体の首座をテレビに譲った。
 株式会社である民放テレビの業績競争は、視聴率至上主義を生み、番組内容は自ずと低劣化した。広告会社が滅法強くなり、メディアの風上に立つに至った。
 日本のマス・コミにとって、つまり国民にとって不幸だったのは、新聞が傘下のテレビを批判できなくなり、公共放送のNHKまでが視聴率熱に感染したことだ。今や、民放のテレビ番組や企業姿勢について容赦なく批判できるのは、資本関係を持たない出版社系の週刊誌・月刊誌だけだ。
 かくして、新聞はNHKを身内の敵と見倣し、今や民放テレビの"一億総白痴化"に加担している。(;)