皇室の公私(下)2006年01月30日 08:09

 ユネスコが定めた「世界遺産」は、国や民族を超えて、人類が共有すべき普遍的な価値を持つ文化・自然遺産をいう。だが、然るべき部立があるなら、日本の天皇家も世界的な文化遺産と見倣しておかしくないだろう。何といっても一つの家系が、文書上に記録されて125代、2000年以上も続いているということは、他の国家・民族に例を見ない文化・自然遺産と言えまいか。
 その天皇家が、未来への伝承が困難な"危機遺産"になろうとしている。現皇室に40年も直系男子の誕生がない現実と、戦後の皇室典範によって狭められた天皇相伝の適格条件がカセになって、元始以来の定めとしてきた「男系継承」に危機が迫っているのである。
 戦後の日本では、皇室に対する庶民の素朴な親愛はむしろ濃くなったが、天皇制そのものへの関心は薄まる一方だった。その要因の一つに、「昭和憲法」によって、旧憲法の天皇主権が国民主権に改まったのを機に、知識層・教育現場・言論界に、階級闘争史観に基づく「天皇観」が滲透し、天皇や天皇制を日本の伝統文化との関連で位置づける視点が衰えたことが挙げられる。
 実はこの視点の衰微が、戦後の皇室の教育や躾けにも影を落とし、ひいては皇太子の結婚や公務についての認識に、「普通人」「普通の家庭」並みの観念が植え付けられる結果となった。
 しかし、天皇・皇族は普通の人ではない。皇室典範に明らかなように、成人は国民より若く18歳と定められ、血統を重んずるために養子は認められない。国民には保障されている婚姻の自由もないし、選挙権も被選挙権もない。その代わり、経済生活は生涯保障されており、納税の義務も負わないし、刑事訴追については法的に想定もされていない。そして、今や執政の重荷もない。
 要するに皇室の存在意義は、その家系に凝縮された日本文化の伝統行事を承継し、神事の主宰者として代々受け継がれた男系の「Y染色体」を保つことに尽きる。皇室典範の不備を補うことも急務だが、まずは皇太子夫妻に、この特異な「公」の使命についての再認識を求めたい。(;)