見失ったもの2006年01月03日 08:22

 人は悪いことはしないいと思うのか、いや、人は悪いことをするものだと思うかで、世の中の風景はひどく変わってくる。かつてアメリカを旅した時、賭博の町ラス・ヴェガスだったと記憶するが、ホテルのベッドのサイド・ボードに「汝、罪人を作るなかれ」と、亀の甲文字で印刷したプレートが置いてあるのが気になった。
 ベッド・メイクに来たメイドに、「これは何だ」と訊ねたら、ユー・ノウ言葉で、「そのへんに、やたら現金や貴重品を置きっ放しにするな、ということですわ。ユー・ノウ?」と説明してくれた。つまり、人は悪事をするもので、いつも盗まれぬように用心しないと、お前が「罪人」を作ってしまうぞと、盗まれる方の「注意義務」を喚起しているのだった。
 幕末から明治にかけて、日本を訪れた欧米人の中には、日本人の正直さや、道徳意識の高さについて、紀行文などに特筆している者が少なくない。
 例えば、英国の伝説的な女性旅行家で世界の数十カ国を回ったイザベラ・L・バード(Isabella L. Bird =1831~1904)は、1878(明治11)年に単身来日して東北・北海道を旅し、旅行記『Unbeaten Tracks in Japan =日本の未踏街道』を遺しているが、日本人の礼儀正しさ、正直さ、貧しい中にも安易に金銭の謝礼を受け取らぬ高潔さなどに触れ、「独り旅の女性が危険な目にも、無礼にも会わず、日本ほど安全に旅行できる国は、世界にない」と書いている。
 彼らにとって、落とし物が必ず手元に戻って来たり、置いたものが決して失せたりしないことは、当時の欧米社会でさえ稀なこととして、敬意を誘ったのだ。つまり当時の日本では、「罪人」を作ろうにも、「お天道さま」が見ておられ、親から子へと心に刻まれた「了見」が許さなかったのだ。
 だが、文明開化に邁進し、文明の衝突に敗れた結果、日本も西方と同じく、「罪人を作らぬ」視点の社会に成り下がったようだ。モノ・カネを価値体系の最上位に置いたが故に、道徳・良心・信義・誇りの如き、見えないものの価値を見失い、腰に鍵束をジャラつかす文化に占拠されたのだ。嗚呼。(;)

コメント

_ Luke ― 2006年01月03日 14:37

竹庵さま、
バードの「日本奥地紀行:東洋文庫」はまだ半分ほど読みかけのままですが、通訳の伊藤に、しばしば疑いの目を向けており、金銭の交渉では上前をはねているのでは、という記述があったかと記憶しております。しかし、それはイザベラの邪推かも知れず、悪事をはたらこうとしたら、いくらでも機会があったろうけれど、最後まで力になった伊藤は善良な、しかも前途に燃えた若者だったのかも知れない、と思ったりもします。

バードもさることながら、シャム王宮の家庭教師となったアンナ・レオノーエンズも然り。バードはアンナの十数年後の訪日とはいえ、ビクトリア朝時代の女性の勇気と冒険心には、驚嘆いたします。

昨日、「さむらいウィリアム」を読み終えましたが、外国人の目から見た、江戸、幕末、明治の日本には大変興味があります。宣教師や商館員らの手紙などから窺える当時の日本人の姿は、現在の日本人にもきっと受け継がれていると思っていますが、当時の日本人の美徳が、昨今、急速に失われているようで、さみしさを感じます。

_ 竹庵(Luke様へ) ― 2006年01月03日 16:20

 Luke様。バードは、日本人の見てくれや衛生状態、健康状態や貧しさなどについては極めて厳しい描写をしていますね。その上、そこここで矛盾するような、あまり具体的でない日本人の不道徳性についての記述も多く、女性の気まぐれも覗かせています。不道徳をなじったのは、おそらく管理買春の面ではなかったのでしょうか。しかし、失くした革ベルトを捜しに、夜道を戻った馬丁が礼金を受け取らなかったとか、宿で宿泊料の吹っかけに一度も会わなかったとか、いい面をたくさん書いていますね。
 ビクトリア王朝時代は、庶民の海外旅行ブームが起きて、たしかLook旅行社も当時の創設だと記憶します。女性解放の始まった時代でもあり、中には、ただの物見遊山で済まさない、勇敢で、しっかりした考えを持った女性がいたわけでしょう。それに、旅ブームで、旅行記が売れた時代でもあったようです。

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