お粧しか本か2007年01月22日 08:00

 バスの中だ。聞くつもりもない耳に、若者たちの会話が入ってきた。近くに、都心からキャンパスを引っ越して来た大学があって、バスの沿線には学生のアパートや下宿が多い。近年は、「ばあさん」がうるさいと、下宿は流行らなくなった。学生たちは、ベッドと机と自分の体で缶詰状になるせせこましいワンルーム・マンションながら、親元を離れた「個人の自由」を謳歌しているようだ。
 学生たちは、男性ばかりの3人で、シーズンオフの球場で開かれる、なんとかいう外人らしい歌手のロック・コンサートに出かける途中らしい。聞くでもなく聞いていると、入場券は結構高いようだ。なんでも1枚7,500円の券を、先輩の世話で6,000円で売ってもらったとかで、「お前には、この間のノミ会で5,000円借りてるからよぅ、その分チャラにするよ」などと、大声で言っている。
 若者の声は、年寄りと違って張りもあるし音量も大きい。いやでも耳に入る。その辺からカネの話に転じ、一人が飲食店チェーンのYで「フロア」のバイトをしていたら、「日計」が3週連続で落ちたことを理由にリストラされ、「アッタァ来た」と嘆いた。これを受けて、もう一人が「こないだ、マジ、カネなくなってさぁ、オフクロに3万円送ってくれって電話したんだけどー、2万しか振り込んでくんねんだよなー。親父の会社も景気ワリーらしいや」と、それでもケラケラ笑った。
 来た来た、そろそろ革命の話とは言わぬまでも、政治経済の話題になって来るのかなと、つむっていた目を薄く開け、3人の方に向けようとしたら。一人が、急に話題を変えた。「ねぇ、ねぇ、お前、ヘヤカットどうしてる?」「けっこ、たけーんだよな、これって」「浪人中まではよう、カット代の3,000円は、オフクロが出してくれたんだぁ。ただぁ、茶髪にしたり、フェーシャルなんかはバイト代で出せって言われてたんだー。それが、大学に受かったら、全部自分持ちじゃん。いてーよなー」。
 おいおい、年金暮らしのじいさんは、2,000円前後の床屋を探して散髪だよ。「そんな金があったら、本買えよ」と、つい口に出そうになるのを、やめといた。「個人の自由」には、かなわぬ。(;)

コメント

_ とんこう ― 2007年01月22日 10:02

私も2000円ぐらいの床屋です。昔は協定みたいなのがあって値下げしないと言っていましたが今は変わりましたね。月火と休みの所も多いです。
図書館で購入依頼という手もありますね。学生時代にやったことがあります。今も公立図書館はたくさん受け付けているみたいですよ。

_ とんこう ― 2007年01月22日 10:52

海外の学術論文等は大学の図書館で読むしか方法がなかったですね。しかも
図書館内での閲覧のみ。どうしても必要な場合はコピーをする。だから図書
館が一番最初にコピー機を導入したとか。普段のコピーは青焼きでした。
国立国会図書館も閲覧のみでコピーしかできなかったと思います。

_ とんこう ― 2007年01月22日 11:30

話はまったく違うのですが、叢書・精神の科学 カオスの時代、人間理解の
新たな方法を探る が出版されたのが1987年ですから20年が経っているわけですね。
20世紀思想家文庫も同時期です。今や21世紀、あの頃とどれだけ変わったのでしょうか。

_ 竹庵(とんこう様へ) ― 2007年01月22日 17:03

 とんこう様。今年は初めてのご来庵でしたね。本年も、よろしく。
 散髪屋は安いにこしたことはないのですが、あんまり安いと衛生の面が心配ですよね。エイズが入り込んだりしていますから、保健所の監視は徹底してくれないと困ります。
 「安い床屋さん、衛生は?」といった探索を、新聞がして呉れるといいのですが、……。新聞に理窟が多すぎます。読者は、もっと実生活に関わる情報を欲しがっているはずです。ネットの世界に関しても「安心できるネット・オークションはどこ?」とか「お勧め出来るブログ、アドレス一覧」とかね。
 因みに、目下発売中の月刊誌の『Will』2月号、『THEMIS』1月号をお読み下さい。拙稿が載っています。図書館にはあると思います。ともに言論界批判です。

 図書館のコピーは、つい最近まで高かったですね。今は1枚10円で、自分でやれるところが増えましたが。

 生物としての人間は、1万年経っても目立っては変わらないでしょうね。変わっているように見えるのは、文化を継承し蓄積している点だと思うのです。その蓄積が、文明を生んで、人間の暮らしを豊かにして行く。
 でも、文化・文明は、人間にとって皮膚ではなく、身にまとている衣だから、破ったり、汚したり、捨てたりすれば、裸の生物としての人間がむき出しになる。文化は下着、文明は上着でしょうか。
 衣を脱いで、むき出しになった生物としての人間は、もろもろの動物と変わりません。むしろ、慣れない素っ裸になっただけ、動物より衝動的で、動物の持つ「天与の愛」さえ失った存在になるのかもしれないと、私は考えています。
 この項は1月17日の「天与の愛を今」にご来庵の皆様に読んで頂きたいので、そちらにも併載します。
 またのご来庵を。 

_ とんこう ― 2007年01月22日 18:57

すみません。新年の挨拶を忘れていました。
そうですか、動物と変わりませんか。なんで小難しい議論をしたりするのでしょうか。岸田秀という人は「保育器の中の大人」とか書いていましたが。
震災被害の現場みたいな所では、食う寝るだけでも大変ですね。

_ 竹庵(とんこう様へ) ― 2007年01月23日 00:49

 とんこう様。 いいところを見ておられますね。小難しい議論をするのは、まとっている衣を少しでもましなものにしたいという、文化・文明の向上という衝動なんですね。その衝動は、どんな生物にもある、できるだけ優位に、より優れたDNAを次代に残そうとする「天与の」エネルギーに励まされたものなんでしょう。
 竹庵は、何かというと「天与」で言い逃れると言われそうですが、その辺は、人智の及ばぬところで、すなわち「天与」と、扶けていただいているわけです。
 震災被害の現場では、文化・文明の衣が、すっかり剥がされているのですから、<食う寝るだけでも大変>になるのでしょう。衣を奪われた人間は、か弱い生き物です。

_ とんこう ― 2007年01月26日 12:01

「Will」の広告が載っていますね。
朝日新聞論説主幹を直撃する!
本郷「社説は新聞に必要?」
若宮「僕もときどき考えます。いらないんじゃないかと」
肩書きは、朝日新聞元研修所長になっていますね。

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