アシモの握手2006年01月20日 08:00

 ホンダが、曲線上を走れるようになった「アシモ」を、欧州風の小さな広場で、人間の子供たちと一緒に走らせるテレビCMを流している。腰を少し落とした姿勢が、ややジジむさい感じだが、みごとな走りだ。
 4~5年前、ロボットたちの展示会を見に行って、初めてアシモに出会った時の感動を、今も思い出す。
 幼稚園児が、発表会でマス・ゲームや合唱をするのを観るような感動で、ふと涙が出そうになった。いたいけない子たちが、緊張に頬を紅く染めながら、一心不乱に踊ったり歌ったりする姿は、身内ならずとも、観る者の心をゆさぶる。
 展示会のショウで、曲目は忘れたが、当時の、まだつたない身のこなしで踊るアシモの姿にも、同じ類の感動を覚え、この子を育てた技術者や、可能性に賭けた経営者の度量に、敬意を感じた。そして、もし私に資金と「事業欲」があったら、アシモを20台ばかり調達してダンシング・ティームを作り、世界を回ったら子供たちが喜ぶことだろうと思ったりした。
 そのアシモが、○状、S状のコースを、時速6キロもの速さで走れるようになった。大した成長だな、と思うと同時に、人間の子供の成長の早さ、脳や神経、筋肉の「造化の妙」にも、改めて感じ入る。
 ロボットの進化・成長にも、幾何級数的に伸びる時期があるのだろうか。──そんなことをボンヤリ考えながら、このCMも目的がなかなか理解して貰えないメッセージだろうな、と思った。
 それにしても、すでにアシモは握手もするし、人の手をとって道案内もする。うっかりしていると、ロボットであることを忘れるほど、ヒトらしくなっていくのだろう。3年先なのか、5年先なのかはわからないが、「もっと速く歩けませんか」などと、生意気な口を利くようになるのかも知れない。
 ただ、用心しよう。相手は機械だ。人間が狂うのだから機械も狂う。突然暴走して、握った人間の手を猛烈な力で潰すこともあろう。あまりの痛さに失神しかける人間に、乾いた、抑揚の乏しい声で、「オ・ヤ・ド・ウ・カ・シ・マ・シ・タ・カ」なんて言ったりして。……おやおや、昼寝の夢だった。(;)

コメント

_ Luke ― 2006年01月20日 09:05

竹庵さま、
アシモをご覧になって思わず涙をこぼしそうになったとのこと。
アトム誕生の瞬間を見た天馬博士を想像してしまいました。(^_^;)

ロボットが暴走したら恐ろしいことはたしかで、アーム・ロボットに「殺された」人は何人もおられるのではと思ってしまいます。
人がアームの可動範囲に近づいたら自動的に停止する仕組みなどは備わっていると思いますが、点検などでそのロックを外していたりすると、事故が起こる可能性がありますね。

アイザック・アシモフのロボット三原則が、アシモにも適用されていると、本当の「ロボット」といえるのでしょうが、どうなのでしょうか?

1.ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
2.ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
3.ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。(wikipediaから)

_ 竹庵(Luke様へ) ― 2006年01月20日 11:11

 Luke様。大型のロボットには「油圧」が使われているのでしょうね。私は、道路工事をしている現場にパワー・ショベルが動いている時は、極力、遠回りして近寄らないようにしています。細いゴムのホースが切れただけで、あの巨大なロボットは暴走するでしょうから。

_ Luke ― 2006年01月22日 16:41

竹庵さま、
東京の雪はいかがでしたか?こちら、横須賀ではもう融けてしまって、日影にわずかに残るばかりです。

私はロボット工学のことはなにも知りませんが、パワー・ショベルとロボットとは別物のような気がします。
パワー・ショベルは人の手で動かす「マニピュレータ」のようなもので、「自律動作」をするようなロボットとは異なるようです。
組み立てを行う産業用のロボットは「教えられたことを忠実に繰り返す」ことで人間の代わりをしますが、ロボットと呼ぶにはまだ幼な過ぎます。
しかし、非常に近い将来に「インテリジェンス」を備えた人型ロボットが登場することは確実だと思います。
竹庵さまの仰るとおり、「機械」はまだ「機械」であって、ロボットではないので、先の三原則が適応されていないため、用心に越したことはないと思いますね。

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