不滅の疑問符2007年01月01日 08:08

 元旦からこんな話題は気が重い。だが、やはり取り上ないわけには行くまい。暮れの30日、世界を駆けめぐったサダム・フセイン元イラク大統領処刑のニュースは、衝撃的だった。
 元大統領を今も支持するスンニ派の旧バース党員らの「報復テロ」で、早速、30日だけで60人からのイラク人の生命が失われた。新生イラクを模索する混迷の中で、スンニ派と多数派のシーア派との、血で血を洗う宗派抗争は、すでに内戦の様相を呈している。あまりにも性急な、元大統領の死刑執行は、この抗争をさらに凶暴化するだろう。近隣のイスラーム諸国の介入も懸念される。
 2003年3月、「大量破壊兵器の無力化」と、「独裁政権の打倒」を大義名分にして侵攻したアメリカ軍の指揮の下に、同年6月、暫定政権(CPA=Coalition Provisional Authority)による占領統治が始まると、12月10日には手回しよくイラク特別法廷が設置された。そして、元大統領が米軍の手で拘束されたのが、同年12月13日。
 身柄は、CPAから統治権を移譲されたイラク高等法廷に移され、サダム政権下の1982年に、中部ドゥジャイル村の住民148人が虐殺された事件の「人道に対する罪」で05年7月起訴、同10月初公判。わずか13カ月後の06年11月5日に死刑判決、さらに同じ法廷での控訴審で死刑が確定したのが12月26日。そして、たった4日後の死刑執行だ。
 元大統領には、1988年のハラブジャでのクルド人大量虐殺など、数多くの容疑もあり、国際的にも、もっと念入りな審理が求められていたが、この性急さには、死刑のための公判だったという批判は免れないだろう。
 公判中に、元大統領の弁護人や、一緒に起訴されたサダム政権下の高官の弁護人が計3人も暗殺されたり、裁判長が辞任したかと思えば後継の裁判長が解任されたりと、東京裁判ですらなかった異常な事件が相次ぎ、裁判自体に世界中から不信の視線が注がれた。
 イラク戦争の引き金を引いたブッシュ米大統領は、「処刑は公正な裁判の結果」と声明を発表したが、世界史に“不滅の疑問符”が残った。(;)

発信の責任(上)2007年01月02日 08:05

 発売中の月刊誌『Will』2月号に、「朝日新聞は『社説』を廃止せよ!」と題する一文を書いた。 もともとの狙いは、こうだ。──「商品」としての新聞は、インターネットの普及に代表される情報革命によって、斜陽化を否めない。そのような状況の新聞にとって、社説、とりわけ朝日の社説が、商品の値打ちを高め、失地回復のために役立っているのか、そこを検証することにあった。
 詳しくは、小論をお読み頂きたいが、私の認識では、朝日の社説は◇情報革命に対応できていないばかりか、ネット世界に対して拒絶的である。◇世界の歴史的変換にも対応しきれずに、破綻した階級闘争史観にしがみついている。◇日本周辺の安全保障環境の急変にも、柔軟な対応ができていない。──という3つの理由で、紙面の価値を高からしめる働きをしていない。そう、書いた。そして、結びの部分で「社説無用論」を、次のように述べたのである。
 「すでに世の中は、新聞社の『社説』を、無署名で提供する時代ではなく、どんな記事・論評・解説にも筆者の署名を添え、その責任と立場を明確にする時代である。本来、多様きわまる社内の意見や主張を、無署名の記事に集約し、『社説』と銘打って世に問うことには、もはや、意味があるとは思えない。朝日の新しい経営陣に、新時代にふさわしく、『社説と論説委員室の廃止』を断行するよう提案する」と。これには、同紙論説委員にも、少なからぬ賛同者があった聞く。
 紙に印刷された情報や評論の世界に、なお“蟄居”している大論説記者は、自分たちの書いた「社説」が、ネットの世界で散々にコキ下ろされ、侮蔑されていることを知らず、また知ろうともしない。だが、日々に膨張を続けるウェブの世界では、「書いたら書かれる」「書かれたら書く」という対論・対話のルールが、すでに定着しているのだ。
 なのに、無署名で、応答責任者の名も掲げず、「批判があれば、言わしておけ」という姿勢で、印刷の世界という“情報宇宙”の半球に鎮座し、独裁政党のコミュニケのような論説を発していたのでは、現実から乖離するばかりだ。(;)

発信の責任(中)2007年01月03日 08:02

 インターネットの開花によって、言論は広く大衆に開放され、誰しもが何の束縛をも受けずに、ウェブの世界で自由に言論を発信し、受信できる「仕組み」が出現した。「情報革命」と呼ばれる理由である。ただし、革命が情報流通手段の「技術革新」から始まって、インターネットという形で大衆化したところに、大きな新しい問題が起きた。縮めて言えば、「言論の責任・倫理」の積み残しである。
 インターネットは、アメリカの軍事技術に関わる学者たちの、迅速で簡便な情報交換の道具として生まれ、発達した。それが、東西冷戦の終結に伴って民間に開放され、さらに商用化された。従って、学者たちの情報交換がもっぱらだった時代には、「言論の責任・倫理」は、良識によって処理され、問題にならなかった
 もともと「言論の責任・倫理」の問題は、印刷物や電波に乗せた在来型情報流通の世界では、何十年も論議し尽くされ、情報発信に関わる人々の間で「常識」としてこなれていた。だが情報革命が、主として技術者の主導により、あまりにも猛スピードで進んだために、「言論の責任・倫理」の文化が適切に継承・移植されず、置き去りにされてしまったのだ。
 「言論の責任・倫理」を保証するものは、◇情報の真実性や信頼性の確保、◇情報発信者の責任の担保、◇情報発信者の良心に基づく発信の自制、◇情報の受け手の選別眼の涵養、◇関連法制、といったことになる。これらの、情報の質と責任の確保のための配慮は、印刷物や電波という情報メディアが、一方向に大衆に情報を提供していた時代には、かなり厳格に守られていた。
 しかし、市民一人一人が言論と情報の発信者になる大衆ネットの時代に、いかに適用するかの検討は、完全に後手に回っている。結果として生じたのが、大衆ネットの無法状態である。ジャンク・メイル、詐欺情報、おとり情報、無断のリンケージ、気味の悪いクッキー、……もっと悪質な、特定個人を対象にした中傷、誹謗、プライヴァシーの侵害などへの対処は、これからなのだ。(;)

発信の責任(下)2007年01月04日 08:07

 ウェブ世界の無法状態は、現実にさまざまな犯罪を引き起こし、それ見たことかとばかりと、既成メディアに話題を提供している。
 旧臘も、あるプロヴァイダーのオークションを悪用した“家電業者”が、持ってもいない商品をセリにかけ、数百人のユーザーからの送金を詐取した事件が、メディアを賑わした。結局、約9千万円の被害額の全てを、プロヴァイダーが補償して収めたようだが、この手のネット詐欺は、今日のウェブ世界では珍しいことではない。
 こうした商業犯罪とは別に、被害者に深刻な心の疵を負わせるのが、ネットにおける誹謗、中傷、プライヴァシー侵害などの犯罪行為だ。これまた深刻な社会問題を起こしているが、ネットの世界では予防や規制への意識が乏しく、ほとんどの場合、野放し・泣き寝入りで終わっている。
 その大きな理由は、既成メディアにおいては極めて重要な機能とされている「発信に先立つ情報の吟味」というフィルタリングが、ネット世界の情報発信では、「発信者の良心」以外にないことが挙げられる。さらに、ネットへの情報発信に、広く「匿名」が認められていることが、無責任で犯罪的な情報を増大させる決定的な要因になっている。
 そもそもネットにおける「言論の責任・倫理」は、全ての情報発信者と、その情報の流通を支えているプロヴァイダーが、「ウェブ世界の信用」の問題として、互いに協力し、不断の向上努力を尽くすべき「自主規制」の課題である。
 ところが不幸にも、プロヴァイダーには既成メディアで「言論の責任・倫理」と取り組んだ人材は、ほとんどいない。逆に、情報流通の面で最も積極的に“自由放任”を唱え、商取引に関しても「危険買い手負担」論者が目立つ広告業界からの参入者が多い。
 このように、既成メディアの情報流通と、ウェブ世界の情報流通には、情報の管理システムに大きな違いがある。
 だが、ネットの利用が生活の隅々に浸透した今日、ウェブの信頼性を高めることは社会的急務であり、そのためにまず、ネットでも匿名情報の発信を排除すべきだと考える。(;)

IP業の免責2007年01月05日 08:03

 年頭のテーマに、情報発信の責任と倫理の問題を取り上げたのは、昨年暮れ、「くちべた日本人」様から、《総務省と、インターネット・プロヴァイダー(IP)の団体「社団法人テレコムサービス協会」が、ネット上の匿名情報による名誉毀損やプライヴァシーの侵害を排除する目的で、「新たなガイドライン」を検討中である》との、切迫したトーンのご指摘を頂いたからだ。
 私も大筋は承知していたが、ご指摘に添えられた関連情報などの通り、総務省と業界団体は、名誉毀損やプライヴァシーの侵害に当たる「人権侵害情報」の発信者の住所・実名などの「発信者特定情報」を、被害者側に積極的に開示する方向で「新ガイドライン」を検討しているようだ。この段階での断定的な評価は避けるが、この措置には、それなりの意味がありそうである。少し、冷静に考えたい。
 現状を言えば、ウェブ上の情報による人権侵害については、発信した加害者と、情報被害者との直接折衝では解決が困難だ。だいいち、発信加害者の住所・実名などの特定情報は容易につかめない。つかめても、発信者が素直にその種の情報の削除に応ずることは希だ。勢い、問題はプロヴァイダーに持ち込まれ、その管理責任が追及されるケースが増えている。
 だがプロヴァイダーとしても、明らかな不法行為と見られる情報の削除や発信規制は可能でも、個々の人権侵害の微妙な実態に立ち入って、一方的に発信規制や削除を行うことは、自身の不法行為を指摘される恐れがある。
 そこで、このような問題からの「プロヴァイダーの免責」を主眼として、2002年11月にに「特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限および発信者情報の開示に関する法律=プロバイダー責任制限法」が成立、翌年、施行された。
 しかし、この法は制定の目的からしても、ウェブ上の人権侵害排除の決め手にはなりえない。人権侵害は、最後は当事者の訴訟に解決を委ねるしかないので、発信者の特定は不可欠だ。「新ガイドライン」は、その打開策を探るものだろう。だがそれより、ネット発信を「実名」に限る方が先ではないか。(;)