参謀の心の闇2007年01月15日 08:06

 『文藝春秋』2月号の、「〈検証〉栗林中将 衝撃の最期」を読んだ。筆者の梯久美子氏は、中将の評伝をまとめた『散るぞ悲しき』=2006年・新潮社刊=の著者である。
 〈検証〉は、最期の目撃者も、遺体の確認もないまま、今なお「確証のない不明」として謎を残す硫黄島守備・旧第109師団長・栗林忠道中将の最期をめぐる“貶めの異説”に、ほぼトドメを刺したものと言ってよいだろう。
 “貶めの異説”とは、米軍上陸後の激戦の中で、中将は「精神に異常を来して統率力を失っており、壕を出て投降しに行こうとするところを、部下の参謀に斬首された」とするもの。
 小学館の雑誌『SAPIO』の昨年10月25日号に載ったノンフィクション作家・大野芳氏の「栗林中将の『死の真相』異聞」という記事によって、イーストウッド監督の映画『硫黄島からの手紙』や、梯氏の『散るぞ悲しき』への大宅壮一ノンフィクション賞の授賞などで起きた“栗林ブーム”の中で脚光を浴びた。
 大野氏の記事の根拠となったのは、1961(昭和36)年に、防衛研究所戦史室が、12人の硫黄島戦関係者からの聞き取り調査をしてまとめた『硫黄島作戦について その一』の中に採録された第109師団参謀・堀江芳孝元少佐(故人)の証言を柱とする。大野氏は、「室外秘」扱いのこの調査記録を、1984(昭和59)年ごろ入手していたが、『SAPIO』への寄稿で初めて公開したという。
 堀江元少佐は、その証言の根拠を、終戦後に「小元」という副官がKという軍曹から聞いた話として聞いたと、ほぼ前述のように証言しているのだ。しかし、1965(昭和40)年に上梓した元少佐の自著『闘魂・硫黄島』では、栗林中将の最期を「自決」と、これも伝聞で書いている。
 つまり、堀江元少佐の証言は、どれも伝聞に基づくものでブレがある。しかも、今回の梯氏の検証は、元少佐が激戦時に硫黄島から約270キロも北の父島で勤務していた事実を明らかにし、証言の信憑性を決定的に薄めた。
 水際作戦による玉砕でなく持久戦を唱える中将と、保守的な参謀らとの確執はあったようだが、戦場を離れていた参謀が、生きて帰ってなぜ上官を貶めたか、謎はなお深い。(;)

生存保障の核2007年01月16日 08:01

 周知のことだろうが、整理してみる。現在、核弾頭を付けた弾道ミサイルを持っているのは、米・英・露・仏・中・インド・パキスタンの7カ国である。核実験成功の時期は、米の1945年7月からパキスタンの1998年5月まで、約半世紀の開きはあるが、上記の順で「核保有国」になっている。
 このほかに、イスラエルが核ミサイルを隠し持っていることは、公然の秘密だ。イスラエルは、フランスの支援で1960年代から開発を始め、先ごろオルメルト首相が記者の“ひっかけ質問”にはまって、保有を認める返答をしたが、騒ぎらしい騒ぎにもならなかった。従って、イスラエルを含めれば、「核保有国」は8カ国になる。
 この仲間になろうと、躍起になっているのが北朝鮮だ。北朝鮮は、核兵器を持つことが、自立した主権国家の資格であるとの考えに立ち、国民の生活を犠牲にしてまで核保有に固執している。
 運搬手段の方は、すでに1998年4月に、日本の上空を超えて太平洋上へ「テポドン」ミサイルを飛ばし、昨2006年7月5日には沿海州沖に、射程4,000~6,000キロと推定されるICBM(Inter-Continental Ballistic Missile)=大陸間弾道弾「テポドン2」を含む7発の中長距離ミサイルの発射実験をしたことは記憶に新しい。ただ、「テポドン2」の成功は疑問視されている。また、核爆弾については、昨年10月9日、咸鏡北道の山中で地下実験に成功したと発表しているが、これも専門家は完全な成功とはみていない。
 従って北朝鮮は、まだ「核保有国」とは言えない。しかし、国家経済を保つことができれば、2~3年後には名実ともに保有国になるとみられる。さらにイランが、イスラエルに対抗する動機から、核開発を進めているが、核ミサイルを持つまでには、さらに年月を要するだろう。
 保有国が増えたのは、「核の抑止力」を認める国が増えたからだ。武器の本質として、先に持った国が、後発国の保有を抑える努力は、所詮虚しい。自立を目指す北朝鮮も、核保有を諦めるわけがない。彼らには、核は生存の保障なのだ。(;)

天与の愛を今2007年01月17日 08:11

 親が子を殺め、子が親を殺し、兄が妹を惨殺し、妻が夫を切り刻む。──何ともおぞましい事件が相次ぐ。だが昔から、似たようなことはあった。特に、男女の愛憎が絡んで、妻殺し夫殺しに果てた例は比較的多い。
 由来の詮索を長年の宿題にしているが、かつて横浜市戸塚区内の古地図には「字夫殺シ」という地名があった。いつの時代からの名か、小庵からも遠くはない。いずれ江戸期にでも話題をさらった事件に因むものだろう。
 半世紀の昔、新聞記者双六の振り出しだった千葉に赴任した時、挨拶に行った警察署の課長が、「ここは尊属殺人が突出して多い県でしてな。奈良に都があったころ、印旛沼、手賀沼のあたりは流刑地だったからだという説があります」と、今なら人権問題だ!と大騒ぎになりそうなことを、さらりと聞かせてくれた。なるほど、と思い当たる事件もあった。
 夫婦は「のけば他人」と言う。兄弟は「他人のはじまり」と言うくらいだ。壬申、保元、平治の昔から、親兄弟を殺して政権を奪ったり、女房子供を殺して保身した「貴顕」も名を残す。人間、ケモノでないがために、することは、しばしばケモノも嘆く凄まじさだ。
 20歳代の前半から、何度となく血のしたたるコロシの現場も見てきたし、人間が演ずる大方の惨劇には、もう驚く年齢ではない。だが、この数ヶ月の殺伐さには、さすがに考え込んでしまう。
 人類の進歩は、科学技術の発達による「物質文明」の部分だけなのか。発展しているように見える法制や諸制度、倫理や道徳、そして文化といったものは、所詮、芯のところがケモノとして永劫に進歩しない「人間という動物」がまとっている、吹けば飛ぶような薄衣にすぎないのか。
 だが、ケモノでさえ夫婦や親子、同類に対して「天与の愛」を持つ。人間も、いま一度「天与の愛」に目覚めた方がいいのかもしれぬ。欧米に学んだ「個の偏重」「モノの偏重」、その充足を追って壊れてしまった「家庭」のあり方、「父母」「子」「親子」のあり方を、原点に帰って見直してみたい。(;)

母は家に戻れ2007年01月18日 08:14

 悲劇を煽るような感じがして、敢えて触れずにいたが、ひところの子供の自殺続発には胸が痛んだ。しかも、陰惨ないじめが原因と報じられたものが多く、なぜそこから防げなかったのかと、ひとしお哀れに思えた。
 中には、肝心の教師までが、いじめの先頭に立って、教え子を自殺に追いやった例まであって、教育現場の荒廃が、かなり広まっているのではないかと怒りを覚えた。
 このような悲劇は、マス・メディアの報道によって、時に連鎖的な発生を起こすことがある。子供が思い余って、自殺という解決方法を衝動的に模倣するという見方もあるが、自らの生命を絶つ行為は、尋常でない勇気がいることで、周囲はそこまで理解してやらねばならぬ。
 子供の自殺は、よくよくのことなのだ。それでも、理由がさっぱり分からないことだってある。昭和35(1960)年だったか、地方の任地で小学5年の女の子が、水田の中をどこまでも一本に伸びた単線の鉄路で、列車に飛び込んで自殺した事件を取材したことがある。飛び込んだことは、列車の運転士や、近くで野良仕事をしていた農民の証言で確かだったが、動機がさっぱり解らなかった。
 担任の教師も、家人も、口裏を合わせたように、「明るい子で、悩んでいる様子もなく、自殺の動機など全く解らない」と言った。一つ気になったのは、島倉千代子の熱狂的なファンで、今でいう「追っかけ」のようなことはしなかったが、レコードやブロマイドをたくさん集めていた。
 結局、「動機は不明」で締めくくったが、今でも「島倉千代子」をキー・ワードに、この子の自殺を思い出し、取材が浅かったのではないかと気に病む。鉄路の果てに、島倉の面影を追っていたのだろうか。
 子供は、子供なりに自分の世界を持っていて、大人も入れない心の闇がある。唯一人、その闇にすっと入って行けるのは両親、とりわけ血肉を分けた母親だ。
 だが、学校から帰っても母親が留守の「カギっ子」が、都会では7割という。「豊かさ」を優先し働く母親が増えた。暴論という人が多かろう。女性差別と怒る人もあろう。だが、貧しくともいいではないか、母は家にいて子を守れ。(;)

偉人を尊ぶ心2007年01月19日 08:04

 私たちの幼いころには、「英雄伝」という類の本があって、少年たちは競って読みふけった。少女向けにも、孝女節婦や烈女の行いを記録した「逸話集」が、「少女小説」の向こうを張って読まれていた。先の戦争が始まる前から、戦中にかけての日本だ。
 英雄伝では、戦国の武将から日清・日露の両戦役で華々しい働きをした武人の奮闘ぶりや生い立ちが紹介された。それぞれの逸話を通じて、当時の初中教育にも取り込まれていた忠・孝・仁・義とか、儒教の「五倫」として挙げられる君臣の義・父子の義・夫婦の義・長幼の序・朋友の信、同じく「五常」とされる仁・義・礼・智・信の実践例が示された。
 「英雄」には、刻苦勉励して世のため人のために生きた、二宮金次郎や佐倉惣五郎、空海や禅海、豊田佐吉や野口英世なども挙げられて、その生き方が、子供たちの向上心を励ました。
 国全体が、有為な後継世代を育てようと一心に励んでいた中で、英雄伝や逸話集が、それなりに「人づくり」の助けになっていたのは確かだろう。とにかく、得た情報を知識とし旺盛に吸収できるのが幼少期だし、人間はその幼少期から、まるで天与の資質のように、すでに善悪を嗅ぎ分ける道徳的感性を備えているから、効果は大きかったはずだ。
 ところが、戦争に負けて半世紀近く、この手の本の世界は、かなり違ったものになった。自由な世の中が開けたのだから、もっと自由に過去の人間の評価をし、今日の人づくりに役立ててもいいのでは、と思うのだが、まず軍人・武将がオミットされ、「偉人」が敬遠されるようになった。
 国のため国民ののために生命を賭す行為に、至当な評価をして当然なのだが、「戦争=惡」という図式で外された。勝者の「骨抜き政策」が奏功した結果だ。おまけに、日教組などの無差別平等観が禍して、過去の偉人を尊ぶ風も薄れた。最近ようやく、国家・国民のために尽くす生きざまを真っ当に評価する意識が国民に復活し始めたのは、当然のことながら、喜ばしい。(;)